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第73回
「TOKIさんはさ、最終的にはどんな音楽を演りたいの?」
「う〜ん、ゴダイゴのさ「ビューティフルネーム」っていう曲あるじゃん?ああいう歌を創れるようになりたいね」
「あぁ、メチャクチャ良い曲っすよね〜。俺もそういうトコを目指してると思う」
「まぁ、今はお互いゴダイゴとは掛け離れた音楽やってるけどな」
「そりゃそうだ!」
笑いの絶えない部屋。
TAKUROが来ると、部屋にエネルギーが満ち溢れるような感じがした。
互いの過去の人生の選択に対しての評価をしあったり、今現在の悩み事を打ち明けあったり、未来の自分像に達するまでの道のりに対して意見を交わしあったり、時間が経つのを忘れて、気が付けば、いつも夜が明けてしまっていた。
この時、TOKIも、本人であるTAKUROでさえもGLAYが日本を代表する国民的なロックバンドになろうとは夢にも思っていなかった。
そしてTOKIもTAKUROが自分の人生に一番の影響を与える人間になろうとは、この時は想像もしていなかった。まだお互いのバンドのファンは数十人の頃の話。
お互いが貧乏で、いつも必死だった。
TOKIとTAKUROの交友が深まると平行してKill=slaydとGLAYは何かにつけて一緒にLIVEを行うようになり、1993年の夏も過ぎようとしていた頃にTOKIはKill=slaydに対して一つの決断をした。
「CDを出そう」
今でこそレーベルに所属せずに自主制作でCDをリリースする事は珍しくも何とも無いが、この頃は単独バンドの自己資本でCD出すなんていう事は、あまり例が無かった。
思い立ったは良いが、例が無い故に何から手を付けるのかも分からず、どういう風に作れば良いのかも分からず、完全にお手上げな状態だった。
(まずはCDを作ってくれる会社を探そう。そこで手順を聞けばいい)
18歳の時の車の事故で知らない街を彷徨った時に比べれば何て事は無い。
どんな苦難も投げ出さずに自力で乗り越えてきた自信だけがTOKIを支えていた。
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