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第88回

全てに薄い膜が張られているように感じる日々。

何事もリアルには感じない。

心は出口の無い飢餓感に苛まれ気迫が宿らない。

日々のスケジュールだけをこなし、眠りに就く。

シングル、アルバムを創る。プロモーションの為の取材を受ける。

タイアップを取る為に「先方が見に来るから、くれぐれも演奏は丁寧に」と釘を刺されたLIVEをこなす。

TOKIの感情の起伏はどんどん低下していった。

しかし、それでも自分には居場所がある。やるべき事がある。活動を楽しみにしてくれているファンがいる。それだけがTOKIの支えだった。

そして1997年メジャーデビュー。

渋谷クアトロで行われたデビューライブは満員御礼。

だが、この頃には既にC4の楽曲での根幹となっている「歌詞は自分の人生を切り取る」という手法を未熟ながらも徐々に用いていた為、自身のモチベーションがダイレクトに歌に出てしまう事も相まって、歌う事に辛さを感じるようになってしまっていた。

この頃のTOKIの歌詞を紐解くと自己に対して辛辣な印象を持つものが多く見られる。TOKI自身に、その時代の事を聞いてみた。

「あの頃は迷走してましたね。何の為に歌うのか?っていう部分が全然見えていなかった。後にC4の「流転の果て」っていう曲でも書いている事なんですけど、「幸せ」っていうモノの正体がまるで解らなかった。頑張っても頑張っても、辛さばかりで、一向に幸せに向かっている感じが得られなかったんです。一日がとても長く感じてましたね。バンドを組んだ頃の楽しさとか、トキメキとか、一体ドコに行っちゃったんだろう?メジャーデビューするとか、ドコソコでワンマンやるとかさ、あれだけ望んだ事なのに、そんなの叶えてみても全然幸せを感じない自分に本当に戸惑ってました。 でも、メンバーもいるし、何より応援してくれているファンの方々がいたので、今は解らないけど、いずれ解るかもしれない。とにかく目の前のやるべき事をやろう。まぁ、突き詰めればソレしか出来なかったですしね」

音楽に正直でいる事がマイナスに作用してしまっている時期。

(いつか幸せになるんだろう)という希望的観測を抱えて、日々の取材やレコーディングをこなす日々が続いた。

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